新年早々、実家から東京に戻って来てすぐ映画館に足を運んだ。表参道のシアター・イメージフォーラム。話題になっていた『この世界の片隅に』も選択肢に入っていたが、茫として流行りを追う気持ちでもなく、イメフォでアピチャッポンのアンコール上映がされていることを知ると直ぐにそちらになびいていった。
丁度一年前の同じ月に始まった企画、「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ」で観た『トロピカル・マラディ』では、広大無辺な闇に包まれた熱帯林の中での恍惚なトランス状態を、映像を通して味わうことができた。「ただの映像だよ」と冷たく突き放して俯瞰する態度とは決定的に異なり、アピチャッポン・ウィーラセクタンは我々が「映像」と呼ぶものを「光」と解釈し、映画の別なる相貌を露にさせようとしているように思われる。《Syndromes and a Century》(2006)と《Cemetery of Splendour》(2015)をそれぞれ『世紀の光』と『光の墓』と訳したのは、良い意味での原題に対する裏切りになったのではあるまいか。
「彼は日記を記す人以外のなにものでもなく、日記のために生き、日記において日記によって生き、そして日記に何を書いたらよいのか、何ももう思いつかないということを最後には日記に書くまでに至った人であった。」(『ブリブンケンの人々』)
2017年1月6日金曜日
2016年12月22日木曜日
【講義録】映画とパノラマの境、カフカの眼。
0. Jörg Robertの『インターメディアリティ概論』を、大学のドイツ語の授業で学部生と並んで読んでいる。大学院の本来の所属でドイツ語圏のメディア学はほとんど扱われない(日本語でベンヤミンを読んではいるが)ので、この講義は学部向けでありながら院生の私にも大変役に立っている。これも折角なので、復習も兼ねて面白い部分をピックアップして非公式の講義録を残すことにした。
(ちなみに、後期授業が始まった時、最初はIrina O. Rajewskyの『インターメディアリティ』を読んでいたが、話の抽象度と文法の両面で躓くところが多かったため、J・Robertの今読んでいるテクストに方向転換されました。)
1.『インターメディアリティ概論』は、第5章「映画的記述:フランツ・カフカ Filmisches Schreiben: Franz Kafka」から読み始めることになりました。
場所:
日本, 東京都
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