2016年12月25日日曜日

海の向こうの挑発――曺 泳日『世界文学の構造』(訳:高井修)

 を観て森を観ることは難しい。プラープダー・ユン「新しい目の旅立ち」の翻訳が、ポストモダンというキーワードで日本のポストモダンを相対化する賭けだとするなら、曺泳日(ジョ・ヨンイル)の『世界文学の構造』は韓国における昨今の「世界文学ブーム」を色眼鏡に日本の近代文学を、そしてそこから連綿と続く「現代日本文学」を相対化する投石だと言える。そして、その試みは小説技巧やテクスト理論に志向しがちな諸作品が、社会の潮流に流されるまいと引き籠ることでまさに社会の潮流に流されていることに盲目になる様をあからしめることに成功している。


 「世界文学の構造」という題が冠せられているものの、我々日本語読者にとって最もスリリングなポイントは、第二章で論じられる日露戦争と夏目漱石、そして「国民作家」の不可分な繋がりについてだろう。

 石の話が出てくる文脈は以下の通り。韓国のある劇作家は、2010年当時の総理大臣を批判する際に、同国における読書文化・活字文化の乏しさこそが現職の「釈然としないことが繰り返し出てくる『タマネギ総理』」を輩出し、そのため経済状況も苦しいままであるというロジックを展開した。つまり彼の主張を整理すると、読書文化に投資を行うことでコンテンツ(文学)産業が発達する、それによって経済が豊かになるというのである。


 かしこの劇作家は、今批判の矛先を向けている当の総理大臣こそが、まさに書物と読書教育の投資によって完成した人間であるという事実に気付いていないか、あるいは無視を決め込んでいる。

「遠回りした感が否めませんが、ここで言いたいのは次のようなことです。はたして読書文化、そしてその中核である近代文学(小説)の発展の度合いが、特定地域の文化水準を担保する客観的な基準となりうるのかということです。」(p.41)

人文学の危機だとか、補助金の削減だとかに断固反対の声を絶やさない界隈にいる人間としては、早速ながらも非常に耳の痛い話です。外部からどころか内部からでさえ拒絶の憂き目にあう「文学」。(とはいえそうやってカンブリア大爆発の如き多様な表情を創り出して現代に至るのが「芸術」ではありますが。) なお、補論にも柄谷行人を引用して、日本のオーバードクター問題を他人事ではない韓国のそれに突き付けてもいます。

「伝統芸能ならともかく、文学を助成金で維持して何になるのか。生活できなくても、おれは文学をやるぞ、という人がいれば、文学は残る。だから、ほうっておけ、と僕は思います。」(柄谷行人『柄谷行人インタヴューズ 2002-2013』、p.116-117)

 うした反ヒューマニティーズのトーンが終始漂っているわけですが一旦閑話休題、韓国文学の話に戻りましょう。上記の劇作家の批判から、ロジック自体の正誤はさておき、自国文学に対する否定的な見解、すなわち「フランスやドイツ、はたまた日本のように、韓国で近代文学が発展しなかったのは何故か?」という問題意識を窺うことが出来る。そこから、日本という国が生んだ作家として分析対象になるのが夏目漱石である。

 ぜ夏目漱石は国民作家となり得たのか。日本と韓国を分かった最大要因、ジョ・ヨンイルはそれを「物語を発動させる原動力(ユートピア)として、植民地を持った経験」の有無の中に見出す。つまり、日露戦争における勝利こそが夏目漱石を夏目漱石たらしめたのである。

 露戦争後に満韓を訪れた夏目漱石の手記を紐解き、戦勝が如何に作家を鼓舞したかが次々に論拠付けられていく。歴史とは必ず勝者の歴史である、と良く言われる話だが、これを文化・文学・芸術に置き換えても異存はあるまい。ジョ・ヨンイルはさらに、ナポレオンとロシア文学、トルストイとその周辺作家を結び付けて、西欧においても近代文学は戦後文学として発展したことを指摘する。そこから司馬遼太郎の両義的な評価に繋がるジェットコースター感が非常に刺戟的なのだが、紙幅が尽きそうなので後は是非書店で手に取って読んでもらいたい。

 れにしても、これほどまでに人文学を丸裸にする本が海の向こうからやって来たことを寿ぐべきか、呪うべきか、私は正直なところ戸惑っている。著者の主張の一つは、文学以外の他の分野の需要と供給は「神の見えざる手」、つまり市場原理に任せるのが普通なのに、人文学・文学産業に関してはそうした調整を受けていないことが不思議でならない、という提言です。人文学の価値は数値化できないところにある、という見解はおそらく著者も私も共有していることだと思いますが、数値化できないが故にその評価は常に過多か過少かに振れ切ってしまうのでしょう。著者も彼が引用する柄谷行人も、人文学はなすがままにせよと主張する。だが、問題は彼らがどの立場からそう主張し、どの位相のグループにその言葉を向けているかが不明瞭な点ではないでしょうか。



 足になりますが、これからの韓国文学を進ませるべく、彼ら韓国人が補うべきものとして「「経験」(日文学性)の拡張」を著者が挙げていたのが興味深かった。トルストイが文学を離れて教育と貧民救済運動に参加し、その「経験」を踏まえて『芸術とはなにか』が書かれたことを念頭に置いていたのは間違いないでしょう。東浩紀もどこかで語っていた、イベントと飲み会はセットでなければならないという話に通じており、国を越えても同じ問題意識が共有されていることは興味深く思えました。


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