『クライテリア Vol.1』
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『クライテリアvol1』富久田朋子「家族という回線ーー赤坂真理『東京プリズン』を読む」を読む。『東京プリズン』で縺れ合う本質論(天皇、英霊)と個(家族、私)の2つの位相を解きほぐし、クライマックスで描かれる(「敗戦」という)過去の「改変=外傷的記憶の消去」の成功に疑問を呈す。— fukudA_M (@chitomo12) 2016年11月30日
そこでは精神分析の如く、天皇と英霊を代理とした母娘関係の捻れの解消が目指されるが、それは血縁以外に関係を持たない者同士が血縁という「回線」を穿ち合って生じる穴=痛みの解消にはならない。斎藤環が指摘するように、娘にとっての「母殺しの不可能性」が逆説的に証明される。— fukudA_M (@chitomo12) 2016年11月30日
こうした劇的なクライマックスとは対照に、母娘の電話につきまとう沈黙の時間にこそ、個であるがしかない故に個を超えて普遍的な痛みが宿っている。所々に挿入される執筆者富久田さんの東北の家族話がプリズン論と相乗効果発揮していて、これは大変面白かったです。#bunfree— fukudA_M (@chitomo12) 2016年11月30日
横山宏介「三三三三・三十一+一一一一」
『クライテリアvol1』横山宏介「三三三三・三十一+一一一一」読了。阿部和重『シンセミア』とスコリモフスキ『イレブン・ミニッツ』における不在の中心「●」は、断片を切断=接続することで後付け的に群れを、群像劇を形成する。— fukudA_M (@chitomo12) 2016年12月20日
更に『イレブン・ミニッツ』の数字は福永信の『プラスティック・ソウル』論に接続され、断片群を縫合する(「●」と同じく)数字の持つ幽霊的機構、形式主義が示唆される。それ故第三の存在「赤ん坊」、三角関係、三人称を排した福永信『一一一一一』もまた、数字が形成した群像劇だと言える。— fukudA_M (@chitomo12) 2016年12月20日
イレブンミニッツにカタストロフを持ち込んだ●=カメラアイ=三人称が、『一一一一一』では排除され、そして反復強迫が如く「輪廻転生」が発生する。物語は赤ん坊を取り戻しに行くエレベーターの中で幕が降りる。— fukudA_M (@chitomo12) 2016年12月20日
数字という特殊記号が、一見それとは相容れなさそうな文学の中で如何にモゾモゾしてるかを切れ味鋭く取り出せていて流石です。所謂「複雑系批評」ってこーゆーのじゃあないの。同書収蔵の吉田さんの無限論とドンパチしてる辺りも、これまた編集部のチームワークを物語ってますな。 #bunfree— fukudA_M (@chitomo12) 2016年12月20日
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