2018年4月5日木曜日

180405 鳩羽つぐとtanasinn

twitterに流行っている#tsugutronicaというタグが非常に良い。



鳩羽つぐというYoutuber(?)の動画をカットアップしたエレクトロニカ音楽がアマチュアによって作られている。


そもそも鳩羽つぐというコンテンツ自体が興味深い。

情報を最小限にとどめることで観客の想像力を現在進行形で爆発的に引き立てつつある。

「鳩羽つぐとはどういう存在か?」を一切明示することなく「鳩羽つぐは歯を磨き、外で写真撮影する」という行動だけを示すことにより、類稀な「思わせぶり系ネットミーム」として成功している。

思わせぶり系のネットコンテンツとしては、2ちゃんねる発のネットミーム「tanasinn」なんかも思い出される。
(tanasinnの震源地となったサイトはリンク切れになり、魚拓サイトからしか参照できなくなった。ページを開くと強制的に音声ファイルがダウンロードされるっぽいので一応注意。そして今気づいたが、明らかにFLASH動画「ゴノレゴ」の音声混じってるな…)


tanasinnでも事態は同様、「tanasinnとは何か?」という問いに対する答えにその性質が現れる。
「tanasinnが何なのかを言葉ではっきりと説明する(●)∵∴きないが、しばしばシュールレアリズム的な雰囲気を伴う。」(http://dic.nicovideo.jp/a/tanasinn)
素性を隠すこと、唯一無二の雰囲気を身にまとうことにより、鳩羽つぐ/tanasinnは優れたネットミームとして拡散する。


関連して、創作世界観「SCP財団」の一作品の着案材料として、彫刻家・加藤泉の作品が用いられ、SCPファンによって様々な形で経験、拡散されたことも挙げておこう。

©加藤泉

このケースが面白いのは、現代アートとネットミームとの出会い(あるいは再開?)により、元々は一彫刻作品だったものがキャラクター化した点にある。

これは流石に村上隆でも想像できなかった事態だろう。
偶然の成すべきことやいかに。

pixivユーザーによる「二次創作」がなされた彫刻作品は本作が世界初ではないだろうか。


現代アートが具現化する架空の生命のようなものが、その素性を明らかにすることはそうそうない。

それゆえ、現代アートとネットミームとはそもそも親和性が高いと言えるだろう。

tanasinnにどこか現代アート的、シュルレアリスム的雰囲気を感じたとすればそれも偶然ではあるまい。


とうに過去の遺物となったtanasinnはさておき、今は今を注意しておきたい。

鳩羽つぐはこれからどのような展開を見せるのだろうか。



おまけ

「思わせぶり系」動画職人としてはぴろぴと氏が好き過ぎるので貼っておきます。観ましょう。



2018年4月3日火曜日

外国語の憂鬱

今年も科目登録の時期が来てしまった。
本当に僕は大学院から無事退院できるのだろうか。


しばらく大学から離れている内に外国語の学び方が行方不明になってきたので、
アラビア語とロシア語をマスターすると見える世界
を読んだ。

結局どういう世界が見えてくるのかは良く分からなかったが、筆者のユニークな学習プロセスが事細やかに紹介されていてとても参考になる。


【これから読む】
Réseaux sociaux : comment l’hyper-socialisation accentue la division

フランス語でIT系の文章は中々見つからないのだが、
http://www.mediaculture.fr/
に最新技術に感度の高い系のテクストが量産されてるみたいなので、おフランスのデジタルコミュニケーション事情を知るにはかなり重宝しそう。

大学に「コミュニケーション専攻」みたいなコースもある国だし、リサーチの中で日本とは違った事情が覗けることを期待したい。

2018年4月2日月曜日

世間のUI/UXデザイナー、KPI脳に侵され過ぎじゃない?

深津貴之氏の
Adobe Summit 2018の新技術まとめ
を読んだ。

webマーケティングが目指す「問題解決」というスローガンは、一つの問題が解決されると同時に新たに生じる問題に目を塞いでいるからこそ軽々しく口に出来るマジックワードなのだろう。
web業界をしばらく調べている間に、そう考えるようになった。

なので、Adobeが人工知能やら機械学習やらを活用した結果生まれたのがwebマーケティングサービスとは、正直残念に思える。手詰まりなのだろうか。

2017年1月14日土曜日

pdfをそのままePubに変換し電子書籍を作る

本記事は2017年の記事であり、少し古い内容となってます。
2020年の最新版は新しいサイトに掲載しています。
https://chitomolog.hatenablog.com/entry/2020/06/27/114726

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集に関わっている同人誌がついに電子書籍化に踏み出したので、電子化手続きの中でも最大の関門、固定レイアウト型でpdfをepubに変換する方法を片っ端から試してみました。

「pdf epub」でググると大量にそれっぽいページがヒットするわけですが、その大多数はアフィリエイト目的で作られたおざなりなサービスであるという地獄が現代のネットランドスケープです。
勿論英語圏中国語圏のユーザー向けのきちんとしたサービスかもしれないですが、日本語で、それもご丁寧に.jpのドメインまで取得しているにも関わらず、日本語ファイルを投げたら豆腐文字になって帰ってくるのには流石に文句言っても良いのではないでしょうか。

この手のサイトは今後も増え続けていくことだろうけど…。


余計な情報は要らない、どうすればpdfからePubを作れるか手っ取り早く知りたい方は一番下までスクロールして下さい。

それでは斬って参ります。

2017年1月6日金曜日

視覚/死角の映画 ― アピチャッポン・ウィーラセタクン『光の墓 รักที่ขอนแก่น』

年早々、実家から東京に戻って来てすぐ映画館に足を運んだ。表参道のシアター・イメージフォーラム。話題になっていた『この世界の片隅に』も選択肢に入っていたが、茫として流行りを追う気持ちでもなく、イメフォでアピチャッポンのアンコール上映がされていることを知ると直ぐにそちらになびいていった。

 丁度一年前の同じ月に始まった企画、「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ」で観た『トロピカル・マラディ』では、広大無辺な闇に包まれた熱帯林の中での恍惚なトランス状態を、映像を通して味わうことができた。「ただの映像だよ」と冷たく突き放して俯瞰する態度とは決定的に異なり、アピチャッポン・ウィーラセクタンは我々が「映像」と呼ぶものを「光」と解釈し、映画の別なる相貌を露にさせようとしているように思われる。《Syndromes and a Century》(2006)と《Cemetery of Splendour》(2015)をそれぞれ『世紀の光』と『光の墓』と訳したのは、良い意味での原題に対する裏切りになったのではあるまいか。

2016年12月25日日曜日

海の向こうの挑発――曺 泳日『世界文学の構造』(訳:高井修)

 を観て森を観ることは難しい。プラープダー・ユン「新しい目の旅立ち」の翻訳が、ポストモダンというキーワードで日本のポストモダンを相対化する賭けだとするなら、曺泳日(ジョ・ヨンイル)の『世界文学の構造』は韓国における昨今の「世界文学ブーム」を色眼鏡に日本の近代文学を、そしてそこから連綿と続く「現代日本文学」を相対化する投石だと言える。そして、その試みは小説技巧やテクスト理論に志向しがちな諸作品が、社会の潮流に流されるまいと引き籠ることでまさに社会の潮流に流されていることに盲目になる様をあからしめることに成功している。


 「世界文学の構造」という題が冠せられているものの、我々日本語読者にとって最もスリリングなポイントは、第二章で論じられる日露戦争と夏目漱石、そして「国民作家」の不可分な繋がりについてだろう。

 石の話が出てくる文脈は以下の通り。韓国のある劇作家は、2010年当時の総理大臣を批判する際に、同国における読書文化・活字文化の乏しさこそが現職の「釈然としないことが繰り返し出てくる『タマネギ総理』」を輩出し、そのため経済状況も苦しいままであるというロジックを展開した。つまり彼の主張を整理すると、読書文化に投資を行うことでコンテンツ(文学)産業が発達する、それによって経済が豊かになるというのである。

2016年12月24日土曜日

ノイズそして水墨画――戸田ツトムとアニメーション作家のdesign

0.目次
  1.戸田ツトム経歴
  2.デザイン・メディアとしての「ノイズ」
  3.コンピュータ、ノイズ、水墨画
  4.ノイジー・アニメーション――Ian Cheng、David OReilly

1.戸田ツトム経歴

・戸田ツトム
1951年生まれ。桑沢デザイン研究所での松岡正剛との出会いをきっかけに、1973年から5年ほど工作舎で活動、その後独立。『MEDIA INFORMATION』、『ISSUE』『WAVE』『GS』など80年代雑誌で独自のスタイルを築き上げる。杉浦康平の文体を引き継ぎつつ、アンチパターンとも呼べるノイズ的空間処理を行った。


2.デザイン・メディアとしての「ノイズ」

 彼のデザイン思想におけるキーワードが「ノイズ」の概念です。ノイズを単に情報を阻害するものとしてではなく、逆に情報を生産するものとして実作に応用したことが「思索するデザイナー」と彼が呼ばれる所以でしょう。

「何の意味も」読み取れないこの像がヒトの眼球視像より多くの情報量を持っているのだとしたらヒトの営為にとって、情報量の増加とはでたらめさ、あるいは雑音以外の何物でもない。逆に言えば、風景の中に意味を見出すということは、先のいくつかの――といってもそれだけで膨大であるが――厳しい厳しい制限と抑止力を知覚に与えて、できるだけ多くの情報に直接触れないように人体を保護し、外界からの光や情報といった刺戟の大部分を防去するということなのだ。」(戸田ツトム『断層図鑑』(1986年、北宋社)、p.39)

「いずれにしても輪郭が形成される前・事態には状態が一様ではないことの段差、断絶、密度変化などの動因力が機能していることが判る。私はつい最近までこういった兆候へ変移する運動を引き起こす何らかの因子を「ノイズ」と諒解していた。六章までに頻出するノイズというボキャブラリーは大体この周辺の事情を指している。つまり、ほかならぬメディア――触媒――ということであった。」(同書、p339)